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卒業証書授与式

式の写真と
校長式辞
      第79回 飯豊町立手ノ子小学校 卒業証書授与式 式辞

  寒暖差が大きく、時折大雪に見舞われた冬が去り、陽ざしの暖かさから春の訪れを感じさせる今日のよき日に、飯豊町副町長様はじめ、多くのご来賓の皆様、そして卒業生に加え在校生の保護者・祖父母学級の皆様のご臨席を賜り、飯豊町立手ノ子小学校第79回卒業証書授与式を、このように晴れやかに挙行できま
すこと、誠にありがたく、心より感謝申し上げます。

 卒業生の皆さん。改めてご卒業おめでとうございます。皆さんは今年、4年生、5年生がいない中、最高学年として立派に学校をリードしていくことができました。時にはお互いの考えが合わずにぶつかることもあったことでしょう。しかし、自分たちだけで計画し、列車を乗り継いで仙台まで行った修学旅行を境にして、3人の絆が一層深まったと感じました。9月の町陸上大会や運動会、2月の町スキー大会での活躍は、まさにそれを証明してくれています。
 今、手にしている卒業証書は、これまでの12年間、一日一日を大切に生きてきた証です。どうかこれからも、たった一つの命を大切にして、自分の夢や目標に向かって生きてください。
 さて、この1年間、私が皆さんに伝えてきた言葉があります。それは、「挑戦し続ける」ことです。毎日の小さな努力の積み重ねがやがて大きな夢を叶えるという意味を持っています。この日を迎えるにあたり、江戸時代にこの地を豊かな実りある大地にしてくれた人を紹介します。
 その人は、黒井忠寄です。別名黒井半四郎とも言います。半四郎は、1747年に生まれました。その頃の飯豊町を含む米沢藩は、いつも水不足に悩まされていました。そこで、奥田村(今の川西町)に住む横山平左衛門から相談を受けた半四郎は、小国町に流れる玉川の源流からトンネルを掘り、山を越えた白川に引き込み、水量を確保しようと考えました。そして、1799年から工事を始めたのです。工事は難航を極めました。飯豊山のすぐ近くということで冬季間は深い雪に閉ざされ、1年のうちで工事ができるのはわずか2カ月ほどしかありませんし、今のように重機等もありません。つるはしを使って人力のみで硬い岩を削りながら150メートルを掘り進めたのです。そして19年後の1818年、ついに「飯豊山の穴堰」と呼ばれるトンネルが完成したのです。現在、その役割は白川ダムに引き継がれましたが、このトンネルによってこの地は豊かな実りの大地になったのです。
 半四郎は、完成を見ることなく病気でこの世を去ってしまいましたが、その遺志を引き継いだ人たちの手によって粘り強く工事は続けられました。この一連の大工事は、私たちに「あきらめずにこつこつと頑張り続ければ、いつか光が差し込む」ということを教えてくれています。皆さんのこれからの人生、いろいろなことがあると思います。でも、決してあきらめずに挑戦を続けていれば、絶対最後には幸せになれると信じています。皆さんのこれからの頑張りをいつまでも応援し続けます。
 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。頼もしく、立派に成長されたお子様の晴れ姿をご覧になり、お喜びもひとしおのことと存じます。お子さんが誕生してからこれまで、楽しいことばかりではなく、様々なご苦労もおありだったのではないでしょうか。お子さんは小学校を卒業しますが、これからもお子さんに寄り添っていただき、進むべき道を示してくださいますようお願い申し上げます。
 手ノ子小学校はこの3月をもって152年の歴史に幕を下ろします。手ノ子小学校の、地域とともに歩んできた教育活動は、どの学校にも負けない自慢できるものばかりです。手ノ子・高峰・中津川の皆様の思いは、統合先の第二小学校にしっかりと引き継いでまいります。皆様のこれまでの数々のご支援・ご協力に対しまして、厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 結びに、卒業生の皆さんが、自らの手で幸せな人生を切り拓き、活躍することをお祈り申し上げ、式辞といたします。         
                         令和8年3月18日
 飯豊町立手ノ子小学校長 松田 喜弘